32歳でラスベガスで起業した。
日本食レストラン『Sukiyaki 』
同時にカジノからスロットやポーカーマシーンの
中古を買い取り、カジノ後進国のソウルやアフリカに販売し利益を得た。
ラスベガスのスロットメーカーを買収し、
日本に海外メーカーとしてパチスロ市場に参入する
計画で2億の出資も某上場会社から賛同を得ていた。
しかしながらその計画は大きな力、特許の2つで
闇に葬られた。
同時にアフリカへの販売が詐欺にあい、大きな損害を被る事になる。
資金繰りに追われる中、病に倒れ1ヶ月程入院し、
帰国を余儀なくされ、家族やスタッフ20名程を
ラスベガスに置いたまま日本で1人約2ヶ月程入院し
退院と同時に仙台市に会社を設立し、病からアメリカでの永住を諦め、ラスベガスの自宅やレストランを安い価格で売却し仙台市で1から再スタートをした。
その後スタッフは100名を超え、資本金1億2000万まで増資し上場寸前まで会社を成長させたが、
僕の読みの甘さ、奢り、焦り、厚生労働省の
方針転換もあり、その会社も倒産させ会社も個人も10億を超える負債から破産した。
その後の残務整理に1年の時間を奪われ、裁判所や
弁護士、管財人との打ち合わせに追われ定職には
つくことが出来ず、その間は郵便配達のバイトでわずかな収入を得ながら暮らした。
その後12月で退社する会社に約15年勤務した。
この15年でなんとか息子を大学を卒業させ、小さい家も建てる事が出来た。
あの地獄から15年が過ぎた。
今月末には新しい会社が設立される。
小さくても転ばない会社を作る。
今最後の扉を開く。
僕はその為に生きてきた。